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【会員コラム】間忠雄(11)倫理的反出生主義の普及を願って(11)~キリスト教的反出生主義を巡る対話~
これまでのコラムの内容に対してキリスト教信仰を同じくするM氏から以下のような指摘を頂いたので、彼の同意を得てさらなる応答をここに提示したいと思う。
彼の倫理的反出生主義への批判と評価は、旧約聖書(ユダヤ教)とキルケゴールそれぞれを論拠とするものなので、2回に分けて反論ないし自説の修正を試みたいと思う。
〔M氏の指摘その1〕旧約聖書・ユダヤ教と倫理的反出生主義
倫理的反出生主義が、人間を苦痛・苦悩から救済することを最大かつ唯一の目標としていることは認めるとしても、旧約聖書・ユダヤ教(『旧約聖書』から知られるユダヤ教のことをこのように呼ぶことにする)もまたそのような課題を知らないわけではないし、ましてや旧約聖書・ユダヤ教を出生主義と断定することは誤りである。
君の標榜するキリスト教的反出生主義は、次の問いにこたえる必要がある。
「反出生主義は、意図するとせざるとにかかわらず、論理的・必然的に、創造の否定へと行き着かないか?」
旧約聖書・ユダヤ教は、創造否定、創造に対する反抗、あるいは君の言葉を借りれば「手ごわい現実」を十分

間忠雄|Tadao Hazama
14 分前


【会員コラム】間忠雄(10)倫理的反出生主義の普及を願って(10)~敗戦80年を迎えて~
ひとは誰もが不可避的に被害者にもなり得るしまた加害者にもなり得るという現実の認識は、倫理的反出生主義の主張を支持する重大な要素の1つである。
たとえ自分がいま、被害者・加害者のいずれになることからも免れていたとしても、その場合他の誰かが代わりにそうなっているような現実を認識することは、確かにわれわれが出生の停止を求めるべき強力な根拠の1つである。
被害者になることを自ら選ぶ人はいないのではあるけれども、加害者になる為には自ら選んでそうする面があるだけではなく、複合的に外から強いられてそうなる面がある。
この被害・加害の不可避的現実を、国家的歴史的規模において体現しているのが、ちょうどいまのイスラエルである。
いまから80年前にその誇大妄想的な野望を砕かれた同盟諸国は、自らの意志において加害者となる道を選び取り、その当然の報いとして被害者とも成るべくして成り果てたのであるが、むしろいまわれわれが目にするところのものは、被害者のすべての苦痛を知っていたにもかかわらず隣国のガザの人びとに、自分たちが被ったのとまさにちょうど同じ目を遭わせ

間忠雄|Tadao Hazama
8月6日


【会員コラム】間忠雄(9)倫理的反出生主義の普及を願って(9)~倫理的反出生主義のプロパガンダ~
「プロパガンダ」という言葉がある。
一般に「宣伝・広告」という意味を持つ言葉であるが、語源は1622年にカトリック教会が設立した「布教聖省」なるものの呼称にこの語が用いられ、ラテン語のpropagare(繁殖させる、種をまく)に由来するという(ウィキペディアより)。
これはキリスト教における福音宣教が、新約聖書福音書における「種まきの譬え」(マタイ・マルコ・ルカ)にそのイメージを負っていることを示す一例なのであるが、しかしその後の歴史においてとりわけ「政治的なプロパガンダ」という用いられ方をする場合、それは一種の扇動的な要素を持ち、知性的であるよりも情緒や激情に訴えかける宣伝効果として、一般大衆に向けて重大な影響力を及ぼす作用として語られるようになった。宗教的な宣伝に始まり、商業的な広告、政治的なプロパガンダにわれわれの生きる社会は事欠かないのであるが、確かにそれらは否定的な意味だけを持つのではない。
たとえば商業的な広告の多くは消費者が必要な商品やサービスを手に入れることに役立っている。
宗教と政治の自己宣伝は真に人々に福利厚生をもたら

間忠雄|Tadao Hazama
7月28日


【会員コラム】穂積浅葱(6)不妊治療クリニック爆破犯の過ち:無生殖主義活動家の視点
6月17日にカリフォルニアの不妊治療クリニック付近で起こった自爆事件の犯人とされるガイ・エドワード・バートカス容疑者(とその協力者、ダニエル・パク)の行動がなぜ無生殖主義*活動家の視点から許容できないものだったのかについて、私の考えをここに書き留めておきます。
* 苦感能力を持つ意識を作ることは誤っているとする倫理学上の立場を、ここで解説している理由で、無生殖協会は「無生殖主義」と呼んでいます。その実践の仕方は事実上、反ヒト生殖主義(広く『反出生主義』として知られている立場)とヴィーガニズムの両立です。「反出生主義」という言葉の方に馴染みがあれば、読み替えてくださっても差し支えありません。
広く受け入れられている結論(ヒトや動物を作ることは良いことである、または許容されることである)に反対すべき理由を見つけていない人々を、それに真っ向から対立する無生殖主義に納得させようと思ったら、まずは彼らに、議論に参加して我々の話を聞く気になってもらわなければなりません。
そのためには、彼らは少なくとも無生殖主義について「過激」「危険」などという

穂積浅葱|Asagi Hozumi
7月26日


【会員コラム】間忠雄(8)倫理的反出生主義の普及を願って(8)~5・1に寄せて~
倫理的反出生主義からの問いかけは、人間が考え続けることを止めない限り、常に現実の人間社会に突き付けられた問いである。
いったい全体われわれ人間が出生の完全停止の実現を先送りし続ける限り、ひとりの人間が負うにはあまりにも耐えられないほどの苦悩が、われわれの中の誰かの身に、ある日突然襲いかかって来るということをやがて終わらせることはできないのではないか。
去る5月1日、大阪市西成区で下校中の小学生たちが、東京都の無職矢沢勇希氏(28)の運転するレンタカーに故意に轢かれ、7名が大怪我を負わされるという痛ましい事件があった。
被害者、加害者、またその身内の方々の身になってみることを想像すると、その苦悩は測り知ることができない。
倫理的反出生主義は、人の不幸を待ってましたとばかりに自己宣伝の材料に使うことは慎まなければならないのであるが、このような不幸は誰の身にも起こり得るということ、また絶えず誰かの身に現に起こっているということを知っている点で、この問題の解決策を冷静になって、人々に呼びかけ続けなければならない使命を負わされている。
あ

間忠雄|Tadao Hazama
5月5日


【会員コラム】間忠雄(7)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(7)
「出生の停止」を訴える倫理的反出生主義の主張は、①現実世界の抱える人間の苦悩という問題の深刻さの認識と②倫理的存在としての人間の責任とその能力の限界についての理解に基づく、問題解決のための唯一不可欠の解答を提示するものである。
倫理的反出生主義が扱う問題は一言で言えば、「人間の苦しみ」なのであるが、同じ人間の苦しみを問題として取り組んでいながら倫理的反出生主義の示す解答を一顧だにしない立場があるとすれば、それはいったいいかなる理由によるのであろうか。
いうまでもなく倫理的反出生主義は、人間の苦悩を真剣に問題とし、その解決のための努力を惜しまないあらゆる立場と共同する用意がある。
それらの立場に人間の苦悩の問題解決のための確固たる決意がある限り、われわれは倫理的反出生主義からの提案、すなわち「出生の完全な停止」をお勧めしないわけにはいかないのである。
人間の苦しみと真摯に取り組む立場の一例にここでは対話の相手として、「政治哲学」なるものを取り上げたい。
政治の課題は人間的生の質の保証であると思われる(「人間的」ということが生の

間忠雄|Tadao Hazama
4月30日


【会員コラム】間忠雄(6)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(6)
「出生の停止」を訴える倫理的反出生主義の主張の是非をめぐる議論は、およそあらゆる建設的議論と同様に、議論の前提となる共通の基盤を絶えず確認し、相互に認識を深め、あるいは必要に応じて修正を迫られるものでなければならないだろう。
なかなか理解し合えない場合にも粘り強く、議論に参加す

間忠雄|Tadao Hazama
2月13日


【会員コラム】穂積浅葱(5)「命」という語を使うのをやめよう
我々ヴィーガンが守られるべきだと主張しているのは「苦感能力(苦痛を感じる能力)を持つ意識のウェルビイング」であって、「命」ではありません。
また、無生殖主義者*が作るべきではないと主張しているのは「苦感能力を持つもの」や「苦感能力を持つ意識**」などと呼ばれるべきものであり、「

穂積浅葱|Asagi Hozumi
2月4日


【会員コラム】間忠雄(5)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(5)
「出生」が個人の自由な選択肢ではなくむしろ「出生の停止」こそが、さもなければ生まれてくることが避けられない人間に対する「苦難の予防」として万人に課せられた義務である、という倫理的反出生主義の主張に一定のコンセンサスが得られた場合、それは一つの画期的なパラダイムシフトとなるだろう。

間忠雄|Tadao Hazama
2024年11月5日


【会員コラム】間忠雄(4)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(4)
さて、キリスト信仰に基礎づけを求める上で払拭しなければならない倫理的反出生主義に対するいくつかの疑念をここでは検討してみよう。
まず考えられるのは、「苦難」からの人間救済をのみ至上命題とするあまり、倫理的反出生主義は人間の「応答責任」の継続を性急に放棄するきらいはないか、と

間忠雄|Tadao Hazama
2024年10月14日


【会員コラム】穂積浅葱(4)「無生殖主義」を捨てる時が来た?
前回のコラムでは、無生殖主義者(※1)が無生殖主義の支持拡大を妨げないように表現活動をする方法について、私の考えを紹介しました。
しかし、多くの無生殖主義者が、不適切な表現活動が引き起こす問題の存在にすら気付かないままインターネット上で表現活動を続けています。

穂積浅葱|Asagi Hozumi
2024年10月7日


【会員コラム】穂積浅葱(3)無生殖主義者の表現活動
前回のコラムでは、「反出生主義者」を名乗りながら過度に攻撃的/悲観的な言動をインターネット上で繰り返して無生殖主義(※1)の支持拡大を妨げる人々の例を紹介しました。
また、そのような言動は「言論の自由」という概念で保護されるものではなく、無生殖主義者というカテゴリーに属する人々

穂積浅葱|Asagi Hozumi
2024年9月29日


【会員コラム】間忠雄(3)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(3)
以上の要点は、「出生の停止」が「苦しむ人間存在の終焉」のための、現時点において知られているところの「唯一確実な手段」である以上、他の代替案が見つかるまでこれを選択しないことはいかなる理由であれ、「苦しむ人間存在の継続」を正当化することになる、ということである。
倫理的反出生主義

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月23日


【会員コラム】穂積浅葱(2)「言論の自由」の誤解
「反出生主義者」を名乗りながら過度に攻撃的、もしくは悲観的な言動をインターネット上で繰り返す人々があまりにも多すぎます。
そういう人々の言うことに限ってリツイート/リポストなどで拡散されやすいものですから、「反出生主義」と呼ばれる立場は支持を広げることができず、反出生主義の支持

穂積浅葱|Asagi Hozumi
2024年9月18日


【会員コラム】穂積浅葱(1)ABEMA Prime「『生まれなければよかった』反出生主義ってどんな思想?共感する背景に何が?」への反応
ABEMAが2回目の「反出生主義」特集をしました(※1)。
前回はなんと3年も前だったそうです。
時間の流れは速いものですね。
必要な変化を早く起こさないと、あっという間に我々活動家の人生は終わってしまいそうです。
※1:我々は『無生殖主義』という別名を使って問題を避けよ

穂積浅葱|Asagi Hozumi
2024年9月11日


【会員コラム】間忠雄(2)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(2)
倫理的反出生主義の主張は、「すべての出生を停止せよ、それから、すべての人間の苦痛の除去を最優先させよ」というものでなければならないのではないだろうか。
「出生の停止」は「苦しむ人間存在の終焉」のための唯一確実な手段として承認されたならば、倫理的反出生主義の主張への賛否はつまるとこ

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月4日


【会員コラム】間忠雄(1)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~
本ウェブサイトで、会員による不定期連載コラムの掲載を始めることになりました。 その初回となる本稿は、比較的珍しいと思われるタイプの無生殖主義者によるものです。 寄稿者・ 間忠雄氏は、ヒトの生殖を倫理的な誤りとする立場とキリスト教の信仰とを両立します。 寄稿者 間忠雄...

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月2日
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