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間忠雄|Tadao Hazama
脚本
その他
プロフィール
登録日: 2024年9月2日
記事 (16)
2026年10月20日 ∙ 6 分
【会員コラム】間忠雄(16)苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために(16)“笑いの内閣「12人の産まない日本人」東京公演直前放送 茂木健一郎VS高間響 反出生主義アベプラ延長戦” を観て自由に考えたこと
反出生主義を巡る Abema 討論の延長戦として高間響氏と茂木健一郎氏の対談を閲覧し、私なりに考えたことを思いつくままに述べてみたい。
まず始めに、茂木氏の「反出生主義には論理的に穴があり過ぎて破綻している」という言説は、昨今の哲学界における議論を踏まえた上での発言ではなくして、一般に知られているところの反出生主義のロジックに対する個人的な印象であることが判明した。
「反対も何も、そもそも俺は反出生主義には興味はないの」、という茂木氏の一言がそれを決定づけている。
しかしそうであるなら、高間氏が指摘する通り、茂木氏は番組の出演を辞退すべきだったのではないか。
しかし茂木氏は「反出生主義の人と付き合いたくない」といいながら、出演したのは「(番組では)どのようなネタが来るのか知らなかった」から、という言い訳をしている。
番組に出て見て初めて反出生主義というものを耳にしたとでもいうのであろうか?
それとも当日の番組のテーマは実際放送が始まるまでゲストとして知れされてはおらず、サプライズだったとでもいうのであろうか。
高間氏が過去の特集の内容をすべて視聴してから番組に
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2026年8月21日 ∙ 5 分
【会員コラム】間忠雄(15)苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために(15) —ABEMAの報道を見て(感想)—
反出生主義特集を扱う Abema News の報道を見て何ともやりきれない気持ちになってしまった。
劇作家の高間響氏、哲学者の小島和男氏、脳科学者の茂木健一郎氏をゲストに迎え、これまでの反出生主義特集の内容を踏まえた上で、反出生主義に対する疑問や批判が次々と小島氏に対してぶつけられていた。
討論の始めに反出生主義を、「人生には苦しみがあるので、生まれてこないほうがよく、産むべきではない。」という主張にまとめたのはよいとしても、「何がきっかけで?」、「ご自身の経験があって?」という司会者の質問に対する、「運よく自分が恵まれていることが(苦しんでいる人に)申し訳ない思いがある」という小島氏の応答を、「そのように感じない。」、「大学教授に何の意味もない。妙な個人的な考え。」などと批判する茂木氏の発言はそもそもの初めからしてよからぬ悪意を醸しだしていた。
——さらに「楽しいことが申し訳ない?」、と畳みかける男性俳優の驚きは、ある意味苦しむ人間存在に対する日本社会全体の無関心を象徴的に表しているようでさえあった。
司会者の質問は、反出生主義という思想に取り組む
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2026年6月23日 ∙ 8 分
【会員コラム】間忠雄(14)苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために(14) —死もまたあってはならない—
「苦痛はあってはならない」。
けれども「生まれた以上苦痛は避けられない」のだから、「産むべきではない」。
「死もまたあってはならない」。
けれども「生まれた以上死は避けられない」のだから、「産むべきではない」。
「生まれた以上苦痛は避けられない」のだから生まれてしまった以上せめて、「自己と他者の苦痛を最小化する生き方」を追求することが、人生の価値ある目標となるのではないか。
いやむしろ、人間の倫理的共同の責任として、各個人においてのみならず、政治と社会の最優先の課題となるのではないか。
しかし、「苦痛」とは別にもうひとつの「死」についてはどうだろうか。
「死」に伴う「苦痛」の軽減はある程度可能であるとしても、「死」そのものを軽減することはできない。
苦痛の範疇にすべてを回収できない死の実体は人間の経験領域を超えた形而上学的意味を帯びている。
「死」についての明確な考え方を持つことはすでにひとつの信仰の領域である。
既成宗教の死生観を受け入れられない場合、ひとはおよそ以下の2通りの考え方の間を逡巡することになるのではないか。
① 死ねば生物個
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