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【会員コラム】穂積浅葱(3)無生殖主義者の表現活動

執筆者の写真: 穂積浅葱|Asagi Hozumi穂積浅葱|Asagi Hozumi

更新日:2024年11月2日



 
寄稿者

穂積浅葱(ほづみ・あさぎ)

会員番号:2

正会員


2021年に無生殖協会を共同設立し、以来代表を務める。

功利主義に懐疑的な立場を取り、リチャード・D・ライダー氏の「苦痛主義」(painism)により大きな正当性を見出す。

好きなレーシングドライバーはF1のオスカー・ピアストリ。

 

前回のコラムでは、「反出生主義者」を名乗りながら過度に攻撃的/悲観的な言動をインターネット上で繰り返して無生殖主義(※1)の支持拡大を妨げる人々の例を紹介しました。

また、そのような言動は「言論の自由」という概念で保護されるものではなく、無生殖主義者というカテゴリーに属する人々が無生殖主義の支持拡大を妨げる不適切な表現を使うのをやめることは、言論の自由を侵害する言論統制ではない、と主張しました。


※我々無生殖協会は「反出生主義」という語が起こし得る問題を避けるために「無生殖主義」という語を代用する立場をとりますので、本稿では「反出生主義」を「無生殖主義」、「反出生主義者」を「無生殖主義者」と表記することにします。


では私はどういう表現の内容/仕方を提案したいのかといえば、例えば下記のようなものです:


表現の内容:特に強調して語るべきこと

  1. 無生殖主義者は「(多くの場合共感に動機付けられた)理性の行使」の結果として無生殖主義を支持している。

  2. 無生殖主義を支持することは、必ずしも悪い人生を送っていることを意味するものではない。ある者が悪い人生を送っていることはその者が無生殖主義の支持に至ることを容易にするだけで、無生殖主義の正当性には何の影響も及ぼさない。

  3. 無生殖主義者を支持しない者は、まだ生殖の道徳性についてきちんと時間をかけて考える機会を与えられたことがないだけだ。必ずしも「悪人」だから支持しないのではなく、きちんと時間をかけて考えれば必ず理解と支持に至ることになる。

  4. 無生殖主義を優生思想、ナチズム、宗教などと結び付けて批判しようとする人々には、いったん全ての前提を忘れて、あらゆる種類の価値の源である苦痛の悪性(と快楽の善性)に立ち戻って物事を考えてもらいたい。そうすれば個々の立場の違いを適切に認識できるようになるはず。

  5. 貧困や障害など特定の条件に当てはまる人々の生殖は、そうでない人々の生殖よりも悪いわけではない。苦痛を感じる能力を持つ(と合理的に推定できる)者を作る限り、全ての生殖は等しく悪いからだ。

  6. 無生殖主義とチャイルドフリーは無関係。チャイルドフリーは自分のために実践するライフスタイルであり、利他的な理由で支持・実践される無生殖主義とはそもそもカテゴリーが違う。子供を育てたり子供との交流を好んだり、逆に子供の声を聞くことや姿を見ることを嫌ったりしながら無生殖主義を支持/実践することには何の矛盾もない。


表現の仕方:トーンと論法

  1. 「論を憎んで人を憎まず」を心がける。

    1. 無生殖主義に反対する立場の人々を蔑称(英語なら『breeder(s)』、日本語なら『ナタカス』『強産魔』『繁罪者』など)で呼ぶことや、無生殖主義の不支持を思考能力の欠如や障害などに結び付ける言動をすることは厳に慎む。説得したい出生奨励主義者を「バカ」と呼んでしまえば、説得を自分で難しくしているあなたがバカに見える。

    2. 「子供好き」が無生殖主義の支持と矛盾しないのと同様に、子供への嫌悪を持つことも無生殖主義の支持と矛盾しないが、その嫌悪を表現することは控える。そのような表現は、無生殖主義者を「我々は醜い赤ん坊たちを街で見かけたくないので、赤ん坊を作るな」と主張する集団のように見せてしまう。

    3. 生殖した人々を責めない。すでに為されてしまった生殖について無生殖主義にできることはない。無生殖主義は未来をより良いものに変えるために実践されるべき倫理学上の立場であり、過去の行いを断罪するための道具ではない;後者としての使い方は支持拡大を妨げ、未来を変える力を無生殖主義から奪ってしまう。

  2. 他のヒトの不幸な境遇(実際に起こった事故、事件、そして特に障害)を無生殖主義の擁護に使わない。

    1. 誤りだと広く合意されている立場(優生思想やナチズムなど)と無生殖主義を結び付けて同一視するのが論理的に誤っていることはきちんと考えれば分かることだが、その結びつきを起こしやすい表現をあえて使って無生殖主義の支持を呼びかけようとするのは支持拡大を遅くするだけであり、愚かである。

  3. 自身の不幸と無生殖主義を結び付ける表現は控える。

    1. 自身の不幸と結び付けていいのは無生殖主義を支持するようになったきっかけだけ。無生殖主義を今支持している理由として受け取られ得る仕方で自身の不幸を語らないように努める。そもそも、無生殖主義を支持するようになったきっかけは訊かれない限り言う必要すらないはず。


もちろん、私はヒトの心理のエキスパートではありませんから、全ての無生殖主義者が私の言うことに従って表現活動をすれば無生殖主義は最速でその目的を達成できるのだ、などと約束することはできません。

しかし、Twitter や Reddit で「理性のない猿」とか「クソ野郎」とか言って生殖奨励主義者を貶すことが目的達成への最速の道ではないということは、かなりの自信を持って断言できます。

生殖奨励主義者を貶したいのであれば、無生殖主義者しかアクセスできないところで、仲間内の愚痴として共有すればよいのです。

しかしそれをあえて生殖奨励主義者に聞こえる場所で言ってしまうことは、前述の「支持拡大に貢献せずとも邪魔することはしない」責任の放棄であり、無生殖主義を支持すると言いながらその支持拡大を妨害する自壊行為です。


では、この問題意識をどう無生殖主義者に共有すればよいのでしょうか。

人々が無生殖主義者になった途端に「こういう表現行為は支持拡大を妨げる可能性があるので注意しましょう」という手紙が市役所から届くような仕組みがあればいいのですが、残念ながら現実はそうはいきません。

次のコラムで、無生殖協会がどうすればこの問題の解決に寄与できるかについて、私の考えを共有します。



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