top of page
aapj_logo_002_003_japanese english.png

【会員コラム】間忠雄(8)倫理的反出生主義の普及を願って(8)~5・1に寄せて~

  • 執筆者の写真: 間忠雄|Tadao Hazama
    間忠雄|Tadao Hazama
  • 5月5日
  • 読了時間: 3分


寄稿者

間忠雄(はざま・ただお)

会員番号:50

正会員


41歳のプロテスタント信徒で、埼玉県在住。

れいわ新撰組、社民党、立憲民主党を支持。

疫病を機に反出生主義を選択するが、ヴィーガニズムには確信を持っていない。

好きなキャラクターはタンタン。


倫理的反出生主義からの問いかけは、人間が考え続けることを止めない限り、常に現実の人間社会に突き付けられた問いである。

いったい全体われわれ人間が出生の完全停止の実現を先送りし続ける限り、ひとりの人間が負うにはあまりにも耐えられないほどの苦悩が、われわれの中の誰かの身に、ある日突然襲いかかって来るということをやがて終わらせることはできないのではないか。


去る5月1日、大阪市西成区で下校中の小学生たちが、東京都の無職矢沢勇希氏(28)の運転するレンタカーに故意に轢かれ、7名が大怪我を負わされるという痛ましい事件があった。

被害者、加害者、またその身内の方々の身になってみることを想像すると、その苦悩は測り知ることができない。

倫理的反出生主義は、人の不幸を待ってましたとばかりに自己宣伝の材料に使うことは慎まなければならないのであるが、このような不幸は誰の身にも起こり得るということ、また絶えず誰かの身に現に起こっているということを知っている点で、この問題の解決策を冷静になって、人々に呼びかけ続けなければならない使命を負わされている。


ああすればよかった、こうすれば防げた、ということは、今後の個人の生き方や社会の在り方に影響を与えるであろうが、過去を振り返ってみると、こうした悲劇が将来2度とやって来ないとはいったい誰が本気で信じることができるだろうか。


児童たちは普段通りの帰り道を歩いていたはずであるし、矢沢氏本人だってつい昨日までは、1年4か月前の自殺未遂という苦悩を通ってでも、誰かを殺すなどというようなことを阻止する努力を続けていたはずである。

両親は彼を心配し、親としてできる限りの手を尽くしている。

様子を見に会いに行く頻度(3か月に1回ほど)が少なかったのでこんなことになってしまったなどと、いったい誰が予想できるのであろうか。

親に責任はないし、矢沢勇希氏本人が然るべき責任を負わされても、それで問題は果たして解決したといえるのだろうか。

事件の前後でわれわれは何も変わっていないし、社会は再び同じ事件に遭遇して驚愕することになるのである。

それはわれわれの他者に対する無関心以外の何物をも表してはいない。


誰もが被害者にもなり得るし、しかも加害者にもなり得る、ということを今回またしても現実は、われわれ人間に突き付けてきている。

このような悲劇がいつも誰かの身に起こり得ることを前提とした社会、そのような社会は果たして人間にふさわしいのだろうか。

犠牲者(被害者と加害者を指す)になる確率が統計的に極めて低いのでわれわれは正気でいられるし、社会は平静を保っているのではないか。

われわれがもはや事件を批評家のように論ずることを止め、2度とこのような悲劇を繰り返さないことを全力で取り組むのならば、それは他者への応答責任を果たすべく存在するわれわれ人間にふさわしいことであるし、犠牲者の傷を少しなりとも和らげることにならないだろうか。


「出生の完全な停止」と同時に、痛む同胞の傷の治療に全力を挙げることこそが、絶えず新しく言い直される倫理的反出生主義からの問題解決のための回答なのである。



bottom of page