top of page
aapj_logo_002_003_japanese english.png

【会員コラム】穂積浅葱(5)「命」という語を使うのをやめよう

執筆者の写真: 穂積浅葱|Asagi Hozumi穂積浅葱|Asagi Hozumi


 
寄稿者

穂積浅葱(ほづみ・あさぎ)

会員番号:2

正会員


2021年に無生殖協会を共同設立し、以来代表を務める。

功利主義に懐疑的な立場を取り、リチャード・D・ライダー氏の「苦痛主義」(painism)により大きな正当性を見出す。

好きなレーシングドライバーはF1のオスカー・ピアストリ。

 

我々ヴィーガンが守られるべきだと主張しているのは「苦感能力(苦痛を感じる能力)を持つ意識のウェルビイング」であって、「命」ではありません。

また、無生殖主義者*が作るべきではないと主張しているのは「苦感能力を持つもの」や「苦感能力を持つ意識**」などと呼ばれるべきものであり、「命」ではありません。

確かに、我々がヴィーガニズムを実践する時には、命を持つ動物に多大な苦痛をもたらす産業を経済的に支援するのを避けることで動物製品の需要を減らし、屠殺や殺処分を受ける個体の数を減らすという限定的な意味では命を守っていることになります。

また、我々が無生殖主義を実践する時には、苦感能力を持つ意識を作らないことの手段が偶然「命」を作らないことであることが多いのは確かです。

しかし、命を作らないことそれ自体は目的ではありません。

主張の要点を伝わりやすくしたくて「命」「生命」「生き物」などと言いたくなるのは自然なのかも知れませんが、命に重点を置いた伝え方は、ノンヴィーガンによる「石油は動物の化石からできているので、ヴィーガンはガソリンエンジンで動く自動車を使えないはずだ」などというナンセンスの流布を許してしまっています。

我々が雑な言葉選びで啓蒙活動をすることは、説得の成功を遅らせて我々の時間を無駄にするだけではなく、ヴィーガンまたは無生殖主義者になり得た被啓蒙者をそうすることに失敗し、結果として多大な苦痛を経験する者が作られることを許すことに繋がる恐れがあります。


* 無生殖主義者とは、行為者は苦感能力を持つ意識が作られないようにしなければならない、という立場を支持/実践する者です。その実践の仕方は事実上、反ヒト生殖主義(広く『反出生主義』として知られている立場)とヴィーガニズムの両立です。

** 意識とは主観的な経験を持つものであり、主観的に経験されないものは苦痛ではないので、意識という語を使うこの言い方は充分に正確で包括的なものだと思います。


あらゆる価値の源は苦痛(と快楽)を感じる能力であって、断じて命などではありません。

ヒトに苦感能力があるから我々ヒトには人権が認められており、イヌに苦感能力があるからイヌは虐待から法的に保護され、ネコに苦感能力があるから中国政府に動物愛護法の制定を求める声が上がっているのです。

ヒトやイヌやネコが「命」を持つ生き物だからではありません。

苦痛をもたらすものを避ければ結果的に命も救われることが多いというのは事実ですが、それを「命を守らなければならない」という偽の倫理原則に言い換えてしまってはなりません。

我々の多くは命は大切なものだと教えられてきましたけれども、それは命を守る行為がたまたまウェルビイングを守る行為でもあることが多いからです。


ヴィーガニズムも無生殖主義も、「命」を大切にする立場ではありません。

ヴィーガンや無生殖主義者はそれを分かっているはずです――そうでなければこれらの立場を支持していないでしょう。

誤解を恐れずにあえて危険思想に聞こえかねない言い方をするならば、命が大切にされてはならないのです。

大切にされなければならないのは、苦感能力を持つ意識のウェルビイングです。

これが取り違えられることは絶対にあってはなりません。


命は価値を直接生みません。

価値を生むのは苦痛と快楽です。


 

命という言葉の問題を私などよりもよほど上手に説明してくれているのが The Real Argument による「ビーガンFAQ」の30-33ページ(ver. 3.1)です。

ぜひご一読を!




bottom of page