top of page


【会員コラム】間忠雄(7)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(7)
「出生の停止」を訴える倫理的反出生主義の主張は、①現実世界の抱える人間の苦悩という問題の深刻さの認識と②倫理的存在としての人間の責任とその能力の限界についての理解に基づく、問題解決のための唯一不可欠の解答を提示するものである。
倫理的反出生主義が扱う問題は一言で言えば、「人間の苦しみ」なのであるが、同じ人間の苦しみを問題として取り組んでいながら倫理的反出生主義の示す解答を一顧だにしない立場があるとすれば、それはいったいいかなる理由によるのであろうか。
いうまでもなく倫理的反出生主義は、人間の苦悩を真剣に問題とし、その解決のための努力を惜しまないあらゆる立場と共同する用意がある。
それらの立場に人間の苦悩の問題解決のための確固たる決意がある限り、われわれは倫理的反出生主義からの提案、すなわち「出生の完全な停止」をお勧めしないわけにはいかないのである。
人間の苦しみと真摯に取り組む立場の一例にここでは対話の相手として、「政治哲学」なるものを取り上げたい。
政治の課題は人間的生の質の保証であると思われる(「人間的」ということが生の

間忠雄|Tadao Hazama
5 日前


【会員コラム】間忠雄(6)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(6)
「出生の停止」を訴える倫理的反出生主義の主張の是非をめぐる議論は、およそあらゆる建設的議論と同様に、議論の前提となる共通の基盤を絶えず確認し、相互に認識を深め、あるいは必要に応じて修正を迫られるものでなければならないだろう。
なかなか理解し合えない場合にも粘り強く、議論に参加す

間忠雄|Tadao Hazama
2月13日


【会員コラム】間忠雄(5)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(5)
「出生」が個人の自由な選択肢ではなくむしろ「出生の停止」こそが、さもなければ生まれてくることが避けられない人間に対する「苦難の予防」として万人に課せられた義務である、という倫理的反出生主義の主張に一定のコンセンサスが得られた場合、それは一つの画期的なパラダイムシフトとなるだろう。

間忠雄|Tadao Hazama
2024年11月5日


【会員コラム】間忠雄(4)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(4)
さて、キリスト信仰に基礎づけを求める上で払拭しなければならない倫理的反出生主義に対するいくつかの疑念をここでは検討してみよう。
まず考えられるのは、「苦難」からの人間救済をのみ至上命題とするあまり、倫理的反出生主義は人間の「応答責任」の継続を性急に放棄するきらいはないか、と

間忠雄|Tadao Hazama
2024年10月14日


【会員コラム】間忠雄(3)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(3)
以上の要点は、「出生の停止」が「苦しむ人間存在の終焉」のための、現時点において知られているところの「唯一確実な手段」である以上、他の代替案が見つかるまでこれを選択しないことはいかなる理由であれ、「苦しむ人間存在の継続」を正当化することになる、ということである。
倫理的反出生主義

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月23日


【会員コラム】間忠雄(2)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~(2)
倫理的反出生主義の主張は、「すべての出生を停止せよ、それから、すべての人間の苦痛の除去を最優先させよ」というものでなければならないのではないだろうか。
「出生の停止」は「苦しむ人間存在の終焉」のための唯一確実な手段として承認されたならば、倫理的反出生主義の主張への賛否はつまるとこ

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月4日


【会員コラム】間忠雄(1)倫理的反出生主義の普及を願って ~苦しむ人間存在がもはや誰もいなくなるために~
本ウェブサイトで、会員による不定期連載コラムの掲載を始めることになりました。 その初回となる本稿は、比較的珍しいと思われるタイプの無生殖主義者によるものです。 寄稿者・ 間忠雄氏は、ヒトの生殖を倫理的な誤りとする立場とキリスト教の信仰とを両立します。 寄稿者 間忠雄...

間忠雄|Tadao Hazama
2024年9月2日
最新情報
bottom of page